妊婦に席を譲らないのはなぜ?--その2
このところ、時間に追われる生活をしていて、なかなかブログを覗けなかった私・・・
暑くてワンコは日中のお散歩ができないので、久しぶりに日中に自宅にいられます。
で、久しぶりにブログを覗いてみて、
ん?なんか1つだけアクセスが多い記事がある・・・
と、思い探ってみると
『妊婦に席を譲らないのはなぜ?』
の記事でした。
話題になってるの?
そこで、ググってみると、同じような経験をした人や、
同じようなことを話題にしている人がたくさんいたんですねー(^▽^;)
その中の1つに、あるサイトの質問に
「なぜ、妊婦に席を譲らなければならないのか?
勝手に妊娠しておいて、立っているのが嫌なら外にでるな」
という主旨のものがありました。
そして、回答にもその意見に同意したものもあり、私は自分の目を疑う思いでした
(@ @;)!!!
勿論、妊婦を擁護する意見も多数あり、論理的に理由を述べている回答や、
医学的見地から述べている、かなり真っ当な回答も見られました。
その中で、私が個人的に秀逸と思った回答は、
「。。。。。ばかですか?」
という回答でした(笑)
まさか日本人がこんな感覚をまだ持っているとは・・・
明治?大正?昭和初期?
という感覚ですよね。
その昔、日本では、『妊娠は病気ではない』という考え方のもと、
姑にこき使われた嫁の歴史があります。
確かに妊婦に適度な運動は必要ですし、現代人は往々にして運動不足の
環境下にありますから、昔の日本人の運動量を普段の生活で得ることは
なかなか難しくなっているのは事実ではあります。
とはいえ、妊娠している状態を『病気ではない=健康体の人と同じ体調』と
みなすことはおかしなことだと分からない人が数多くいるということが、
本当に不思議です。
共感力の欠如、想像力の欠如、小学校~中学校レベルでの知識の不足、
これらが複合された結果ではないかと思うのです。
例えば海外では・・・
ググっているときに、見つけたアメリカ生活を送る日本人女性の
ブログに
「アメリカ人にマタニティマークを理解してもらうのが難しかった。
アメリカでは見ず知らずの他人でも妊娠している人には優しく接するのが
日常」
という記事がありました。
たしかにアメリカ人と日本人では大きく文化は異なるので、一概に並列に並べて比較することはできませんが、日本の「妊婦に優しくない」風土というのは、昔のものだと思っていました。
妊婦の身体
男性の場合、女性の身体になってみろと言われても無理なわけですから、あくまで妊婦の身体に起きている状況を想像するしかありませんが、単純に自分のお腹に4キロほどの水と肉の塊をつけ、それが24時間ずっと内蔵や胸から下半身を圧迫し、体内では、日常より多くの老廃物が発生し、ホルモンバランスが大きく変化してしまい、身体全体が大きく形を変えるという状況が短期間に起きる、ということが、普段の自分の健康な状態と全く変わらない体調でいられると思っているのでしょうか??
そもそも、「高齢者、病気の人に席を譲る」という言葉の意味が理解できていないように思います。
「高齢者、病気の人に席を譲る」とは、ザックリと言ってしまえば、
体力や体の器官が通常ではないことにより、立っていることが辛い方々には、思いやりを持ちましょう
という意味ですよね。
ですから、逆に言えば、高齢者でも毎日10キロ走り、筋トレを続けているような方に比べれば、40代で運動不足なサラリーマンの方が体力がないかもしれません。
一方、妊婦の方は?
でも、1つだけ、そのサイトの質問へのあまり同意できかねる回答の中に、共感できるものがありました。
それは、
席を譲ってもらった妊婦は「私は当然」と思わないでほしい
というものでした。
そうなんです。
そこ、ですよね。
本来、その(私から言わせればバカな)質問をした人も同じ料金を払って、乗り物に乗っているのですから、何も他の人に席を譲らなければならない義務があるわけではありません。
あくまで、「席を譲る」という行為は、相手の思いやりから行われる行為なのですから、席を譲ってもらった妊婦は、感謝の気持ちを持つのが人として当然でしょう。
それを「当たり前」という態度を取られたら、誰でも不愉快に感じるはずです。
結局、妊婦に席を譲ることが理解できない人も、席を譲ってもらって当然と思うような妊婦も、いずれも、想像力や共感力に欠ける人なのでしょうね。
簡単に言うとマナーや知性のかけらも感じられない人達という事でしょうか。
こうなると、どっちもどっち、という感じになりますね(^▽^;)
席を譲る「どうぞ」と、席を譲ってもらって「ありがとうございます」、これって、ごく普通の言葉ですよね。何が難しいのでしょう???
謎です(´・ω・`;A)