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”いろいろあったおんな”の生活の日記

かなり若く見られる高齢女のジャンルを問わない私見を綴ります

楽な生き方

 

手先が器用なわりに、いろいろと不器用な私・・・・(- -;)

妙な正義感、妙な自己哲学、妙なこだわり・・・と、他人と共有できないものさしをいくつか持っているせいなんでしょうね・・・なぁんてわかってはいるんですが、なかなか妥協したり、変えることができないもので。。。(ー。ー)フゥ

 

だから、八方美人的な人には、嫌悪とともに羨望の両方の気持ちを抱いてしまいます。

本当はどう思っていても、どのようにふるまえば好感を得られるか、、なんてことは頭では分かっていてもどうしてもそうできない。

自己主張が強いんですかね?

 

20代の頃は、『自分は物事を分かっている。自分が正しいと思うことは世間の常識だ』なぁんて、バカげたことを本当に思っていました。

それがバカげたことだと本当に気付いたのは30代半ばでしょうか・・・・

 

世間の常識なんてものはないんだ・・・ってようやく気付いて、それからちょっと、ほんの少しですが、生きるのが楽になった気がします。

自分では、『当然~』『あたりまえ』と思っていたことが実は、少数派の意見だったり、複数派に属する意見だったとしても、その反対の考え方を『当然』『当たり前』という意見を持つ方々もいると気付いたのです。

何でしょう、、、頭ではそんなことは知っていたけど、実感した、というのが、正しい表現でしょうか。

 

いずれにせよ、どうすれば楽に生きられるか・・・が、最近すこーーーしだけ、本当にわずかですが、見えてきた気がします。

 

1.まず、現実をしっかりと見る。

2.現実を受け入れる。

3.それらを踏まえたうえで、どうふるまうか、覚悟を決める。

 

大きく括るとこの3つでしょうか。

 

◇現実を知る◇

3つの項目の中で、一番簡単そうに思えるのがこの『現実を知る』ではないでしょうか?

そう、「簡単そうに思える」のですが、実はこれが一番厄介なのでは?と思うのです。

と、いうのは、「現実を知ったつもり」になっている人が世の中にはなんと多いのか、、という点ですね。

 

現実って、自分の周りの行動結果だけで見ていませんか?

例えば、家族、会社の同僚、学校の友達、などなど、自分に近い人達が、ある項目について、どう判断し、どう行動するか、、、を『みんな、〇〇だ』と思ってしまっていませんか?

 

これ、私の生徒によく起きる現象で、「〇〇は△△なんですよ」というごく当たり前の話をすると、それを初めて知った生徒(本人は初めて聞いたと思っているが、初めてなわけはない常識的なこと)は、「へー、そうなんですか。初めて聞きました。多分誰も知らないと思います」と平気で言うんですよね。

 

はぁ????

 

「誰も知らない」の「誰も」って、どのレベルを指してるの?って思うんですよね。

大人も良く、「みんなそうだよ」という表現を使いますが、皆って、どのレベルのみんな?って思いませんか?

地域によっては、常識でも、その地域以外では、「ありえない!」っていう事っていろいろありますよね。

 

例えば、TVドラマの「ひみつのケンミンショー」でよくその状況がみられますよね(^^;)

と、いうわけで、物事の事実って、1つの事柄に対して非常にたくさんの対応や結果があるので、「現実を知る」ってすごく大変なんですよ。

 

だから、普段から情報をたくさん収集している人はそれだけたくさんの知識や価値観を知っているんですよね。

情報収集の方法は、メディアを利用しても読書をしても得ることができますよね。ただ、偏った方法で収集していると、これもまた偏った情報が集まることになります。

 

1つの事柄について、複数の側面からみることで、いろいろな事実を知ることができます。

自分が当然正しいと思っていることが、それは違う、と思っている人が意外とたくさんいたりするんですよ。

そういう事実をまずきちんと知りましょう。

 

◇現実を受け入れる◇

『現実を知る』ことができたら、素直にそれを受け入れましょう。

自分が思っていたことと違う結果だとしても、現実にそれはあるのですから。

 

とはいえ、言うのは簡単ですが、実際にそれはなかなか難しいことです(- -;)

自分と同じ価値観の結果だった場合、受け入れるのは簡単ですけど、全く違う結果が現実であった場合、受け入れるのは容易ではありませんよね。

 

『私は〇〇が常識だと思ってたけど、△△が常識だと思っている人ってたくさんいるんだー』と、一歩離れたところから冷静に全体像を眺めることが大切ですね。

 

自分自身を自分が肯定することは大切なことですが、それが他人を否定することにつながってしまわないようにすることが大切ですね。

そうしないと、自分の考えを他人に押し付けることになりますから。

例えば、自分がある宗教を信仰しているからと言って、それを他人に押し付けることは他人にとっては迷惑でしかない行為かもしれません。自分が相手の為を思ってしたとしても、相手にとっては、迷惑でしかないことでしたら困ったことになります。

 

基本的には『相手を尊重する』ことが大切ですね。

相手を尊重すれば、相手が嫌がることはしないはずです。本当に相手の事を思ってするのであれば、相手が迷惑と思わないようにふるまう必要がありますよね。

 

まして、自分が予想もしなかった結果が現実だとしたら、受け入れるのは確かにとても難しいことです。

『そんなのおかしい、絶対に間違ってる!』と思う事でも、そう思わない人もいるのが現実なんです。

人の価値観って、先天的にあるものより、後天的に環境で作られるものの方が大きいように思います。

 

例えば、国際結婚の難しさもありますし、同じ日本人同士の結婚でも、離婚率がとても高くなっていますよね。

他人を受け入れるというのは、本当に難しいことなんだと思います。

 

現実を踏まえたうえで、どうふるまうか、覚悟を決める◇

現実を受け入れることができたら、それに対してどうふるまうか、を決めることが大切です。

 

自分はAだと思うけど、Bという人もたくさんいる。でも、自分の意見はAで変わらない。

 

という現実を受け入れたら、その現実に対してどうふるまうか、を決めるのです。

相手を否定せず、相手の意見を尊重しつつも、自分の芯をしっかりと持つ。

自分は自分、相手は相手、と意見に相違があることを認め、その上で人間関係を円滑に運ぶ、というのが大人の対応と言われるものなのでしょうね。

でも、そううまくできるものではないですし、それこそストレスが溜まります。

自分と価値観が異なることで、一緒にいることが難しい人とは一歩距離を置いて付き合うことが良いのかもしれません。

周りの人全員とお友達ごっこをする必要はありませんよね。

知り合いとして、一本線を引いたお付き合いという大人のお付き合いの方法があります。

自分が価値観の異なる相手とどう付き合っていくか、あるいは、付き合いをやめるのか、それによって引き起こされるメリットやデメリットも、場合によっては考慮する必要があるかもしれません。

 

これらが自然に判断できるようになると、少しは楽に生きていけるのかなぁなどと、最近感じています。

勿論、この3つだけで括れるほど、人生の時間は単純なものではありません。

でも、これも1つの考え方だということです。